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世界でもっとも自由なオランダ人を見ていればわかる。
真の自由がほしい、自由でありたいと思うなら
まず自らが先入観や魂の呪縛から解放されなければならない。
これが非常に難しいことで、
ただすべてを平等意識で見れば達成されるかというとそうではない。
まずそこまでのレベルにすら至らないのが通例だが、
あらゆる支配から精神的に自由であるためには
まず、ものを知らなければならないし、
その上で現実を見極める情報取捨選択のセンスがどうしても必要になる。
原則として自由を獲得するためのノウハウなぞなく、
自由度を測る術も個々人の自己評価に委ねられる。
俺は本源的田舎者としての魂の呪縛から逃れられてないし、
逃れるつもりもはなからない。
かといって自分の料簡を狭くしているつもりもない。
不自由が楽ちんな性分というわけではないのだが、
自由であることが面白いとはまったく思わない。
ものを知れば知るほど考えが偏狭になっていくし、
俺は目的の達成のためには手段を選ぶし、
これでもなるべく楽ちんをしている。
この年になるとそれほど役に立たないと思われる道や
方法論はとっくに捨てた。
つくづく自由人には体力が必要だ。
オランダ人が世界一背が高いということは知っていたが、
からだのパーツのいちいちがでかかったのだ。
しかも彼らの教育水準は高い。リテラシー能力が高い。
6フィートある俺よりでかいオランダ人は
映画祭に7年前に個人で応募し落選した『死化粧師オロスコ』のことを覚えていやがった。
『ジャンクフィルム』を『死化粧師オロスコ』との連続性で評価したそうだ。
先入観や偏見をうまく避けるスタンスとはこういったことかもしれない。
タイトルに「ジャンクフィルム」、「ショックメンタリー」なんて入っている作品なぞ
偏見で見ても無理もないと思える。
『死化粧師オロスコ』を選出したモントリオール映画祭は門前払いだった。
ファンタ系映画祭など中心に明らかにロッテルダムよりステイタスが落ちる映画祭にも
応募したが、のきなみだめだった。モントリオールのときもそうだったが、
ロッテルダムが一旦決まったら、各国映画祭の引き合いがどっと来る。
作品を見てもいないのに「『ジャンクフィルム』が選出されました」、
まるでスパムメールである。
上映後の客とのQ&Aは、オランダ人は歯に衣着せないと
聞いたので覚悟していたのだが、思いのほかおおむね好意的な反応で、
否定的な質疑はひとつだけだった。
死というものは退屈だと思うが、なぜそんなテーマを選ぶのか、
と挑発的で、思いつきだけで思慮を欠いた作家を糾弾しようとした。
だいたい面白けりゃ何でもいいという感覚が馴染まない田舎者の俺が、
“死が退屈”といういかにも都市のインテリ好みな論調に対する答えを
用意していないはずがあるだろう?
世に問うからには俺は正義だと信じている。
もっとも、質問者の英語の様子からその人物はアメリカ人と知れ、こう答えた。
「アルカイダの情報戦略をあげるまでもなく、死者のイメージは
忌々しいグローバリズムと戦う上でこれ以上ない言語、表現手段、テロです」
バカなアメリカ人はともかく、日本の知識人もグローバリズムをいまだに信奉し、
オサマ・ビンラディンは地獄に堕ちると信じている。
偏狭な考えでいてなおかつそれにも自信がないこの国の人々は、
ものを作る仕事が合っているのだろう。極度に精神的でありながら、
否その言語化すらできない曖昧さを理解するからこそ、
信じるのは目に見えるものだけ。しかも見ていながら目をつむる。
現実が見えるシステムを構築せずに現実主義を謳い、
堂々と冒険者や先駆者を糾弾する、
新しいことを一生懸命やっている人間を民衆の敵かなにかと思っているのだろうか?
俺が言いたいのは、この国に限ったことではないが、
自分の正義を疑わないのはまだしも、それで他人を罰しようとする厚顔無恥、
決定的なことに気付かない、そのあまりの不自由さのことである。
一般的な制限付きの自由は宗教でも得られると思うが、
完全な自由は机上の空論ともいえるかもしれない。
しかし“自由”を少なくとも美徳とは考えるべきだろう。
夢に力を与えるのが自由だ。
夢を見続けるだけで終わるのはそこに自由がないからだろう。
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