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書く前に、あなたが活動しているこのサイトにご迷惑がかかってはいけないのでもう一度だけ書かせて頂いて終わりにしようと思います。
私の反対意見及び疑問に答えて頂いた事には感謝します。
以前に死に関するサイトを訪れたと書きましたが、まともな回答は一つもありませんでした。
しかし、釣崎さんが書かれた内容については芸術として捉えてしまえば言ってることは理解できます。
話は変わりますが、私は無宗教なのですが、宗教を芸術としてみるならば理解はしています。それはその存在があることで人の心を救う力があるからです。
弱い人間にとっては頼るものが必要であって、そのひとつとしてあっても良いだろうと納得はしています。
それと比較することで申し訳けないのですが、死を芸術とすることで何を得る事があるのか?返事を頂いた内容で言わんとしてることは分かっていながらも許す事ができない私がいます。何故でしょう?
それは考えて頂かなくても結構なのですが、”僕が何でも芸術にすれば許されると考えているのは事実”がある限り話しは平行線で交わる事はないでしょうね。
何故あなたにとって芸術が優先させるのか?は考えた事はあるとは思いますが、”知る権利を放棄する”ことではなくて芸術という名のもとに”知る必要はない”(私の場合です)と感じるのです。
おそらく誰も放棄などはしていないでしょう・・・
私が何をつぶやいてもどうなる訳ではありませんが、”言論・表現の自由”というもので無神経になってはいないのかということを伝えたいのです。
(”馬鹿な奴”=”無神経” 馬鹿な奴は言葉が悪かったと反省しています><)
あなたのサイトだけで疑問を持っている訳ではなく、あらゆるところで増えていく事が恐ろしいのです。
戦場で命をかけて写真を撮ることは誰もが出来ることではありません。だからこそ、死を芸術として見ることについては別にして(この先議論することがないからです)、死は醜いものであることも表現しても良いのではないかと考えます。
芸術にしてしまえば見る側も芸術として見る訳だから、怖さは減りますよね?
子供は怖いから悪さをしないものです。大人もそうあるべきじゃないでしょうか?
芸術=すべてを美化することであるならば、芸術=悪とも考えます。
人間の持つ理性が正しい方向を向くならば、今の時代では死を考える(芸術にしてまでもということです)には早すぎるような気がします。
そういう中で脳死でさえ死であるのかどうか理解できないこの世の中で、果たしてそれが意味のあるものになるのかどうか・・・正直言って分かりません。
”残酷描写規制によるその消失で世界が被る危険と損失は大きいと信じています”ということから芸術によって信念になるのかな?を表現しているのだろうとは思いますが、果たしてそうなのだろうか?という疑問は私にはあります。
こういう場所であるやないやら話しをしてもキリがないのでやめておきますが、たまには私のように反対や疑問を持つ人のコメントもあっても良いですよね?
それと思うのですが、私は良い大学も出ていないので言葉数も多くはありません。ですからこういう話で議論する立場でもありません。
釣崎さんは同じ仲間同士で死について話し合う事は常だとは思いますが、そうではない人とこの仕事を続ける限り会話をしていくというのはどうでしょうか?
とても意味のある話し合いになりそうな気がします。
ついでにですが、私のブログ(まったく無名でこの内容とはまったく関係ありません)に、先日の投稿とこれにコメントを頂ければ載せても良いでしょうか?
僅かな読者しかいないので意見はまずないとは思いますが、これについて他の人はどう思うのかちょっと知りたいな〜と思っただけです。
釣崎さんの名前を伏せて投稿するつもりですが、問題ないならそのまま載せます。
2度にわたり長々と書かせて頂きましたが、芸術の内容はともかくまともに会話をされる人がいることには少しばかりほっとしました。
疑問を持っている限り応援はできませんが、戦場では怪我をすることなく気をつけてくださいね^^
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